「思いは叶う~信大農学部生なら何でもできる」
奥 裕之(森林工学科 S54)
信州大学農学部創立80周年、心よりお祝い申し上げます。
今回、「ゆりのき通信」への寄稿の機会をいただき、改めて自身の歩みを振り返る中で、信州で過ごした4年間、特に伊那での3年間が、その後の人生に多大な影響を与えたことを深く実感しております。伊那という空間で、常に「本質とは何か」を考え続ける日々を過ごしたこと、生きる哲学のようなものが魂に染み込んだことが、今の自分を形づくっているのだと思います。
挑戦の始まり
信大ではテニスに明け暮れる日々でしたが、「卒業論文だけは書かねばならない」との思いから、造園学研究室の門を叩きました。当時、卒業論文は必修ではありませんでしたが、亀山章先生の「テーマは自ら考える」というご指導のもと、大いに悩みながら、「都市公園がコミュニティ形成に果たす役割」というテーマにたどり着きました。この経験は、後の課題発見力の礎となりました。
卒業後の経歴と背中を押してくれた二つの言葉
卒業後はゼネコンに入社。マーシャル諸島での海外工事にも従事し、国際的な現場で働く面白さに魅了されました。その後、父の勧めもあり造園設計事務所に転職。都市公園の計画・設計を経験し、卒業後10年目にスポーツ施設の設計・施工・管理を専門とする日本体育施設株式会社に入社しました。
当社には、信州大学出身の先輩、同期、後輩が在籍しており、私は入社早々、カラマツの樹皮を使った園路舗装材(大阪花博に採用)や、記録の出る高速トラック(国立競技場・’91世界陸上に採用)などの開発、東洋最大のサッカートレーニングセンター「Jヴィレッジ」の設計・施工などに取り組み、世界のトップアスリートのパフォーマンスを足元から支えるという、これほどやりがいのある仕事はありませんでした。
どのプロジェクトでも、未知の領域への挑戦が求められましたが、そんな局面で私の行動を支えてくれた言葉が二つあります。一つは、亀山先生が卒論のテーマに悩んでいた私にかけてくださった「奥君が問題だと言ったら、それが問題なんだよ」という言葉。もう一つはマーシャル諸島で現地の老人から言われた「おもしろくやらないと、おもしろくならないからねえ」という言葉です。
TOKYO2020、最高峰の舞台
わが業界にとって最高峰の仕事は、オリンピックスタジアムの施工です。入社当初より「いつかはその舞台を手掛けたい」との思いを抱き続け、世界陸上での高速トラック施工、Jリーグスタジアムの芝管理におけるベストピッチ賞の連続受賞など、一つひとつ実績を積み重ねた結果、TOKYO2020の主会場である新国立競技場の施工を担当する機会を得ることができました。
さらに2021年には、大会組織委員会より運営への出向要請を受け、五輪の開会式から陸上競技、パラリンピックの閉会式まで、チームの副責任者として参画するという貴重な経験をさせていただきました。COVID-19の影響により大会は史上初の1年延期となり、直前の世論調査では国民の6割以上が再延期や開催反対を求める厳しい状況でしたが、一歩競技場に入ると、そこには「大会を成功させる」という強い使命感が満ちていました。
前例のない無観客開催、徹底した感染対策のもと、一日3万歩、睡眠3時間という過酷な日々が2か月間続きました。しかし、すべてを犠牲にしてこの舞台に立ったアスリートたちの「気」に触れ、私自身も至福の時間を過ごすことができました。国際大会の運営は、ただでさえ多様な関係者が集う中でトラブルが頻発しますが、今回の大会では、海外のマネジメントチームの「高い集中力と遂行能力」、そして日本人の「困ったときは助け合う」姿勢が融合し、非常に良い結果を生み出すことができたと確信しています。
後輩たちへ
私は卒業以来、常に目の前の課題に挑戦することを楽しんできました。特別な能力があるわけではありませんが、伊那での生活を通じて身についた「何か大きな力(Something great)」に支えられ、数々の経験を積むことができました。
だからこそ、後輩の皆さんにお伝えしたいのです。私にできたのだから、信州大学農学部生なら、何でもできる。
これからも、信州大学農学部のさらなる発展を心より応援しております。



