北澤秋司名誉教授を偲んで
小野 裕(森林工学科 S59)
北澤秋司先生は大きな人だった。伊那の山や谷を歩き,花崗岩の風化や山地防災に関する数多くの論文をまとめられた。学生からは「北さん」と慕われ,多くの学生が治山の研究室に集まった。
私が学生だった夏の午後,北澤先生は研究室で学位論文の執筆,私たち学生は学生部屋で暑さに負けて無為に過ごしていた。突然先生が来られ,「お前さんたちは何をしとる。駄目じゃんか」と一喝。これが何回か繰り返され,一人が「先生,本当は僕たちと遊びたいんでしょう?」と茶化すと,「馬鹿を言え,俺は忙しいんだ」とまた一喝。しかし,数分後に先生が再び現れ,「しょうがねえ,これからソフトボールをするぞ」と号令。グランドに集合して先生の猛ノックを受け,日が暮れると飲み会。本当かどうか少し疑わしい先生の自慢話をたっぷり聞いた。夏の終わりになると思い出してしまう。
大鹿村,御嶽山,地附山,調査にもよく駆り出された。北澤先生は登山服にヘルメットと岩石ハンマー。先生の奢りで学生たちには菓子パン,牛乳,鶏の足,バナナが配られた。先生の「行けば何とかなるら」の言葉を信じたが,何ともならなかったこともあった。しかし,先生と様々なフィールドを歩いたことは宝物のような経験になった。林野庁や国交省などの依頼で災害調査に出られることもあった。公平な観点から,弱い立場の人たちに寄り添って報告をまとめられた。
北澤先生に最後にお会いしたのは2024年6月だった。卒業生数名で先生のご自宅に伺った。辞する際,戸外に出た私たちを,先生は立ち上がり居間のサッシを開け見送って下さった。片手を上げた姿は,サッシの高さ一杯に大きかった。刹那,先生の表情が少年のように見えた。
こうして思い出を綴ると,北澤先生のご不在が強く意識され,寂しい。しかし,今頃先生ご自身は,愛した伊那の山や谷を少年のように軽やかに歩いておられるのでしょう。
北澤先生,本当にありがとうございました。


