祝 創立80周年 同窓会長挨拶   

辻井弘忠(畜産学科 S43年)

本日は創立80周年記念にご来場いただいた学長並びに来賓・同窓会員の皆さんありがとうございます。前身の長野県立農林専門学校が昭和20年2月に創立され、4月に伊那商業学校で入学式を行い、昭和24年に信州大学に昇格しました。現在農学部の卒業生は、学部卒 約11000名、修士卒 2500名,博士卒 約100名で計11900名です。

 私は神戸出身で、昭和39年大阪から長野行の夜行列車「ちくま」で。現在も走っていますが、当時は最後の蒸気機関車で松本にやってきました。現在のあがたの森、旧松高の校舎で1年間講義を受け、伊那にやってきました。当時の農学部の周りは全く何もなく、ススキ、カヤが茂り、桑畑とトウモロコシ畑、水田は無かったです。木造の講義棟・研究室が松林の中に点在しており、昭和40年頃でしたか、中原寮が伊那で初めての鉄筋コンクリート造で出来ました。現在、創立当時の建物は残っていませんが、現在大学のシンボルである「ゆりの木」は、現在20m近くありますが、当時、植林されたばかりで、私たちの身長程度でした。当時、道路は舗装されてなく、火山灰で足はすぐ真っ黒。そのため年がら年中長靴をはいていた記憶があります。

創立当時建設された正門の石の門は、道路拡張工事で一度解体されました。創立当時の学生が河原から1つ1つの石を運んできたもので、石の裏に学生の名前が墨で書かれておりました。写真を撮り、1つ1つの石に番号をつけ元の位置にボルトで固定して忠実に再現されております。再現してしばらくすると、石門が傾き始め、数年傾いたままでした。その頃、丁度大学の廃統合の話が過熱しておりまして、信大と統合する大学が見当たらなく、いよいよ農学部も潰れるかと心配しました。やがて、傾いた正門はクレーンで釣り上げて元に戻り、それと同時に大学は廃統合なく、単独で存続が決まりました。時を同じくして、10数年続いた耐震工事が行われることになり、農学部は決して潰れないと確信した次第です。

当時の私たちの先生は、農学部は全国の大学の中で一番標高の高い大学である。したがって農学部は名実とも「最高学府」である。学生は「最高学府」という自負を持てと言われました。卒業生の皆様もどうか自負を持って頑張ってください。最後に、農学部の同窓会も基金不足で存続が危ぶまれています。大学があっての同窓会か、同窓会があっての大学か、よく議論になります、両者が両立していく必要があります。今後とも皆様のご協力をお願い申し上げる次第です。本日はありがとうございました。